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いつも「ない!」と欠乏感を持っている人へ 〜感じよう! そこに「ある」〜 

目次

まず結論!

「もっと上を!」「もっとたくさん!」「まだ足りない!」「もっともっと…」

こう思って、疲れていませんか? 僕は疲れました。その心を見つめて、言語化したいと思います。

こう思う人は、向上心に満ちているようで、実はいま現在の豊かさを感じることができていない人ではないでしょうか。だから、いつも「ない」。感謝もない。そして、どうしたら手に入るかばかり「考えて」しまう。考えても、現実は変わらない。感じることで現実は変わる。「ある」ものに意識を向けて、その豊かさや有り難さを「感じる」ことにしました。考えても、「ある」状態になるわけではない。人生に疲れるほど考えても、どうにもならないのですから、「ある」ことの豊かさや有り難さを「感じる」ことを大切にします。

はじめに

①感じる心を閉ざした間違い

これは、僕自身が「もう疲れた」と感じて、考えたことです。疲れたのは、頑張ることに疲れました。それは、頑張っている内容自体が、ワクワクして夢中になれるものではないことを教えてくれています。さらに、頑張る方向が間違っていることも教えてくれています。求め続けることに疲れたのです。求めるのは、何が間違っているのでしょうか?

いま「ある」ものに意識を向けて、有り難いと思えないのは、感じることができていないのです。考えすぎ。なんでも、頭で考えてなんとかなると思ってきた。頑張って考えると、答えはあると信じてきた。でも、人間、感じることが大事なんです。感じられないのは、自分で感じる心を閉ざしてきたから。自分の素直な気持ちを口にする習慣のなかった子どもだったから。親の「こうしなさい」「こうすべきだ」という指示命令に従順で、そこに自分の気持ちや感想を挟む余地はなかった。そのように生きた結果、自分で「感じること」を忘れていったのです。だから、いつも考える。考えることでしか未来は開けないと信じてきた。力を抜いて感じれば、それが未来につながるのです。

②依存という間違い

親の「こうしなさい」「こうすべきだ」という指示命令に従順で、そこに自分の気持ちや感想を挟む余地はなかった。それは、親に依存して生きてきた証です。依存していれば、親が愛をくれると思っていた。でも、子どもに命令ばかりして、型に入れようとする親は、残念ながら、これ以上待っていても愛はありません。愛とは、「ありのままの子どもの姿を認め、受け入れること」です。指示命令の多い親は、親の思い通りに子どもをコントロールしたいのであって、ありのままの子どもを愛する親ではありません。だから、あなたの求める愛は、これ以上待ってもないのです。しかし、依存しているあなたは、無意識に「もっと」と求めてしまう。いま「ある」ものに意識を向けられず、常にないものを欲する生き方の根っこは、ここにあると感じています。

自分で満たすしかない

ないものは、ない。でも、欲しい。欲しがるのはいいですが、欲しいとは、「いまはないのです」ということと同じ。欲しがる心は、「ない」ことに意識が向いています。その意識を矛先を「ある」ことに向けてみませんか。親の愛を求めても、もうないのです。しかし、あなたには、親が産んでくれた体がある。個人差がありますが、目がある、耳がある、口がある、鼻がある、手がある、足がある…こうやって数えると「ある」ものに限りはありません。なんだって「ある」のです。ある現実を「有り難い」ことと感謝して、その気持ちで自分を満たす。身近に愛してくれている人がいれば、その人の愛だって心で感じてみる。体の奥底からじんわりと暖かい感じが湧き上がってきませんか。感じてください。有り難い感謝で心が満ちてくるまで。

まとめ

欠乏を常に感じていると、本当に欠乏の状態がやってきます。あることに意識を向けて感謝をしていると、本当に有り難いことが起きるようになります。

これは「ある」という現実を意識して、有り難さを感じ尽くすと、「ある」現実が起きる。

「ない」という現実に意識して、その欠乏感に囚われると、「ない」状態が起きる。

意識(思考)→<現実→感情→現実→感情→現実→感情…>

意識は思考、思い込みです。最初は、意識が現実を作ります。でも、その後みんな、現実を見るから、現実に対する感情で、その意識にとってみれば、火に油。<嫌な気持ち→嫌な現実>を繰り返す。でも、本当は、嫌な気持ちになっているのはなぜか?立ち止まる。そうしたら「あっ! いいことを感じてない、みすみす見逃しているのは自分だ」ってことに気がつくことができる。そのはじまりは、五感を使うことです。

感情から生まれる現実を繰り返すから、意識に戻れなくて、感情が変わらない。と言うイメージ。だから、感情を変えたかったら、意識にまで戻って、意識する方向を変えてみる。出来そうなら、自分の思い込みはないか?自分の内面とじっくり向き合ってみる。

意識(思考)→現実→感情→現実<→思考を変える→新しい感情→新しい現実>

(現実は変わらずとも、視点を変えれば感情が変わる)

僕は、最初の「意識」の部分で、幼少期に「欠乏の回路」が出来上がっていた。だから、欠乏の現実を招いた。しかし、立ち止まり、「ない」ものに意識を向けず、「ある」ものを数えて、そこに意識を向けた。有難いなと心から思った。「満足の回路」へと変えてくことで、凍っていた感情が少しずつ溶けていくことを実感しました。

現実と直結しているのは、感情です。気持ちが現実につながっているのです。今から、あるものを数えて、豊かな「気分」で生きよう!と思いました。そして、思うのです。幸せだから感謝するのではない。感謝できるから幸せなんだ、と。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。僕自身「ある」ものを数えて、感謝できる心を大切にしたいと思います。

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この記事を書いた人

15歳の自分が出会いたかったブログ

30年前の自分に「もっと柔軟で愛に満ちた考えをもて!」と言いたい。勉強の本質も見えてなく、闇雲に漫然とやってしまったが、正しく学ぶことと、自由に発想し考えることを区別して、伸び伸びと学びたかった。何がわかっていたらそうできたかを振り返って、中高生に、そしてその親御さんにも向けて情報発信します。

そう思うに至ったおよそ30年の間、コピーライター、クリエイティブディレクターとして、広告主の商品やサービスにおけるメッセージを見出し、言語化したり、社長インタビューを文章化したりしてトップメッセージを書くことなどを生業としてきました。受賞歴として、宣伝会議賞(NTTドコモ)、朝日広告賞(NTTドコモ)、C-1グランプリ(東京コピーライターズクラブ主催)ほか。

その傍ら、国語の学習塾を主宰し、子どもと向き合う経験も通して、生きてくためには「気持ちの言語化」が大切だと気づく。言葉は、感情と思考の結果で、言葉の選択は未来の選択との思いから、広告や学習を超えて、「生きてく」という観点で言葉と向きあい、経験に基づいた情報を公開してまいります。

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