この記事を読んでほしい人
- 失敗が怖い人間違えることが怖い人
- 同じ失敗や間違えを繰り返している人
- 失敗から学ぶことは大切だと思っているけど、すぐにそこを去ってしまう人
- できている「ふり」をしている人
まず結論!
失敗が続けば、人は挽回しようとしたり、諦めたりします。そこに落ち着いた現実的な対処ができる人と、焦って一発逆転をしようとする人や、目を背けてしまう人がいます。金銭の失敗や勝負事、恋愛、婚活など、一発逆転を狙うのは、この焦りの一つの現象だと思われます。でも、当然のようにうまくいかない。そこには、現実を認める気持ちが飛ばされています。
この失敗を次の成功でカバーすれば、失敗はチャラになる。そういう思いで、失敗の原因を探り、善処策を考えることなく、どんどんとスピードだけを上げて傷の上塗りを繰り返す。焦りの正体は、現実からの逃げの精神です。焦りの正体は、おそらく失敗を悪と無条件に決めつけられて怒られた幼少期や世間一般の価値観、周りのなんとなくの雰囲気などにあるのではないでしょうか。怒られることから逃げたい。惨めな自分からは目を背けたい。これは、本当の自分ではない。歳を重ねても、心に刻まれた幼少期の恐怖体験や惨めな経験は根深く、目を背けてしまう。そして、次に向い、当然次も同じ失敗を繰り返す。また怒られると思って逃げる、逃げて次に向かう。早く挽回しようと焦る…。もうお気づきですね?
誰でも失敗はするけれど
人生に失敗はつきものです。今朝の目玉焼きがうまくいかなかったという失敗から、仕事での失敗、契約を逃した、先方の要望に応えられなかった、経営の失敗など、大小さまざまですが、誰にでも失敗はあると思います。子どもの失敗も例外ではありません。友人に余計なひと言を言ってしまった。テストでヤマが外れた。軽い気持ちで喫煙してしまった。大事な試合で負けてしまった。それは、人間誰にでもあり得ることです。問題は、その失敗とどのように向き合うか、そこに焦りとそうではない状態の分岐点があります。
焦る人は、大きく二つのケースが考えられます。
一つは、失敗と向き合う心と、落ち着かない人です。だから焦る。その背景は、僕の場合で言えば、「失敗をしたら怒られる!」という気持ちだったと振り返ります。幼少期にそういうことがあったのだと思います。思いますというのは、もはや個別具体の鮮明な記憶はありません。ありませんが、そうだろうと想像がつくという意味です。
二つは、失敗をして惨めな思いをした時に「失敗してもいいんだよ」と適切な心のケアを受けなかった。さらには、笑いものにされたという人もいるかもしれません。これは、恥ずかしい思いをしたということも含まれます。
失敗は、単なる「事実」です。親や指導者に恵まれたなら、失敗した子どもの実態をありのまま受け止める。「これができないのだ」と思うということですね。出来なかったことも、いいも悪いもない。嬉しい悔しいと言う感情はあるでしょうが、失敗や成功であなたの価値が決定するわけではない。という、子どもの存在意義と事実を結びつけない姿勢が大前提です。そして、子どもにどうしたいのか確かめる。できるようになりたいというなら、失敗の原因を知らせて、それを克服する手立てを教えて。一緒にやってみる。怒られずに克服の道を歩めた人は、焦らない人です。
怒りや惨めさ、恥ずかしさは避けたい
人は、意味を感じられない怒りの感情からは、離れていたいと思うものです。だから、一生懸命やって失敗した時に、ただ怒られるというのは、子どもとしては避けたい。惨めな気持ち、極度な恥ずかしさも同様です。そこから全力で逃れようとします。失敗から目を背ける。その失敗を乗り越えることなく、自分は「できるんだ」と事実から目をそらす。それが自分に対する嘘となった時、その子の成長は、そこで止まります。克服することで身についたはずの力は奪われ、上部を装う生き方が始まります。
「できるもん!」「わかってるし!」「やればできるよ!」「そんなもの知らない!」そうやって、スモールステップを上がっていく道を外れていきます。しかし、できると誤魔化している以上、体裁としては、できることを前提に、その上をめざすのです。そうしないと、自分がもたないのです。自分に嘘を通して演じるとは、そういうことです。それは、怒りや恥ずかしさから遠くに行きたいという子どもながらの抵抗でもあるのです。
しかし、そうはしてもやはり目の前のことはできなかったわけですから、実力はついていかない。当然、逃げて次の山を目指したところで、うまくいくはずもありません。うまくいかなければ、また次です。そうやって、最初の失敗を隠し、誤魔化し、できたと見せかけるためには、どこかでそれをはるかに超える大きな成功をしないと演じる自分は破綻をきたす。そこで、ついに一発逆転という麻薬が登場します。成功しないとは断定しませんが、多くの場合は、そんなに浮ついた焦りの気持ちでは、勝負に負けます。戦う精神状態で、すでに負けているし、勝ったところで、さらに大きな勝負を張って、全てを失うのがオチでしょう。焦りとは、ここまで人の足腰を弱らせ、再起を困難にします。
でも、頑張っている!?
松下幸之助が言っていました。「頑張っていると主張する社長、あんた自身が会社をつぶしとるんや」と。松下幸之助の真意は分かりませんが、この記事から言えることは、焦りの気持ちのまま、突っ走っているのだということです。現実と冷静に向き合えない。怖いからです。怒られる、非難を受ける、制裁を受ける、負いきれない責任がある…。それは個人でも同じこと。いずれにしても、恐怖と向き合う勇気と、それを受け入れる覚悟があれば、逃げずに済むと言えます。
逃げなければ、道は開ける
逃げずに、現実の問題と冷静に向き合うことができれば、その次の手立ては打ちようがあります。しかし、逃げるのは心のどこかに怖さがあるからです。怖くて、その失敗を次の成功でキャンセルにしようとして焦るのです。なかったことにしたいのですね。一発逆転も起きないとなれば、ようやく頭を冷やして恐怖と向き合うしかないとわかると思います。
焦る気持ちは、起きた失敗を、次の成功で帳消しにしたい心の働きです。焦りの気持ちは、失敗と恐怖をセットに見る心です。失敗は事実。そこに恐怖をくっつけるのは、幼少期の経験によるものでしょうか。失敗という事実は、具体的に対処するもので、感情的に対応するものではありません。逃げないとは、具体的に対応できる姿勢です。
この機会に趣味を豊かにしよう
失敗してから気づくのもいいと思いますが、失敗を恐れる心を克服しておくこと、つまり、失敗はただの事実で、恐怖心と結び付けないという気持ちのありようを強くするには、まず自分で恐怖や、怖さから離れられることを体験することが良いと思います。例えば、感動体験が挙げられます。新しい分野、ジャンルのライブやコンサートに行く。新しい土地に行く。新しい分野の本を読むなど。いろんな世界に飛び込んでみて、自分が何に心動くのか、何に感動するのかを知って、心を動かすと、心のリハビリになると思います。
また、趣味に打ち込むことも良いと思います。趣味の世界は、自分の好きな世界です。そこで直面する「できない」という事実に、あなたは自然と工夫をしようとするはずです。なんとか自分で乗り越えたいと渇望し、その手立てを講じて、乗り越えていく経験ができます。失敗とは、本来そのようにして超えていくものです。その過程を自分のものとし、恐怖心とは切り離して失敗に向き合えることは、これからの人生を豊かなものにしてくれるはずです。

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