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お母さん、これ以上無理だよ… 〜感情を奪う親から、自分を再生する!〜

目次

誰に対して素直か?

親に対して素直な子。
自分に対して素直な子。
これは、大きな違いです。天地がひっくり返るほど大きな違いです。

僕は、親に対して素直でいい子でした。無理を言わず、TPOをわきまえ、親の言うことを守って、手のかからない子として育ってきました。そうできたのは、自分の素直な気持ち抑圧していたからです。

  • 本当は遊びたい(でも、お母さんが遊びに行くといい顔をしないから家で居よう)
  • 本当は欲しい(でも、お母さんが節約をしているから、欲しがると困るかな)
  • 本当は飲みたい(母と一緒に行った訪問先のおばちゃんが出してくれたオレンジジュース、美味しそう! でもお母さんが飲んでいいと言わないから遠慮すべきなのかな…

子どもは、ここまで親を見るものなんだと、振り返って気づいたいま、自分でびっくりしています。もちろん、こういう親は、いくら親を向いても、愛は与えてくれません。自分(親自身)が、自分の狭い価値観にこだわって、その価値観の中に子どもを留めておくことが「いい子」だと信じ込み、我が子を「いい子」で置いておきたいのです。ありのままの子どもの姿を愛してくれる親ではないことに気づくことも、自分の心の成長のためには大切なことです。

自分の意思のない子

僕は、自分の意思のない子でした。幼少期から10代も半ばになって、自分の意思と思っていたものは、単にその反発心だけで、ちっとも自分の感覚や感情、思考を積み上げることがなかったと反省をしています。その根っこは、幼少期からの親子関係にありました。結論から書けば、僕の親は、子どものありのままの姿を見ていませんでした。もしかしたら、そんなものは「ない」と思っていたのかもしれません。そういうことではなく、真っ白で純粋無垢な赤子に対して、「こうすべきだ」「こうしないといけない」という観念に囚われていたのだろうと想像します。

なぜ? 大勢の価値観に依っていると安心できるからだと思います。時間という観念が誰にも共通してわかりやすいと思います。3歳までには○○ができなくてはならない、的な考え方ですね。ピアノ、体操、ひらがなの読み書き、硬筆、習字、足し算、引き算…。私たちが時間に追われているものは、本当にたくさんありそうです。そしてそうである「べき」という姿勢は、躾と称したお行儀などにも及びます。お行儀よくということと、大人しくということを、僕は区別がよくわからない子どもでした。だから、常に親の機嫌を損ねないために、大人しくすることが良いことだと思い込んでいました。

責任を取りたくない気持ち

大勢の時間に合わせるように生きることは、おそらく親からすれば、子どものためと思ったはずです。「みんなと同じようにできた方が困らない」というのが、その主張の平均的なところだろうと想像します。その発想で忘れ去られているのは、目の前の子どもの「ありのままの姿」です。将来困らないように、将来みんなと同じようにできるように、というのは未来の話ですが、未来のために動くのは「いま」「目の前」にいる子どもです。その子どもが何かに没頭している場合、または不機嫌である場合、その子の「いま」に向き合ってあげることが、僕自身、親として大切だったなと思うのです。

そうできないのは、将来、この子が困らないようにという親としての愛情だと言いながらも、それは、親としてそうならなかった場合に責任の取り方を知らないからだと反省します。砂場遊びに没頭させて、就学前にひらがなの学習をおそろかにさせてしまったために、学校の授業についていけないという状態となったとしましょう。「そうならないために」子どもに勉強を強制していた親は、そうなった場合の遅れを取り戻すリスクを引き受けたくないのだと考えることができます。「そんなことくらい、なんとでも後で自分が対応するから、いまは砂場で飽きるまで遊んでいいよ」と言える親はどのくらいいるでしょうか。

自分の感情を抑圧する子ども

「お母さん、もう無理だよ」。親の強制や期待に従順な「いい子」は、自分の感情を殺しています。「やりたくない」「別のことがしたい」「楽しくないけど、やらなきゃいけない」「嫌だけど、嫌だと言えない(なぜなら、親の機嫌が悪くなったり、怒り出したりするかもしれない恐怖を感じるから)。自分の感情を抑える子どもは、自分を見失う子どもになります。五感がを通して私たちははじめて人間として存在しているのだと思います。五感を通して得ている感覚や感情が「わたし」です。強制や抑圧は、それを無視していることに等しいと言えるのではないでしょうか。

そういう子どもは、自分の内面を成長させることができません。例えば、憧れに生きやすくなる。華やかな世界に見えるスターなどに漠然と憧れたり、強い権力や極端な大金持ちに惹かれたりすることがあります。自分の内面的な成長の結果ならいいのですが、憧れは無思考のご馳走ともいえそうです。それは、親が喜ぶから、親が納得すると思っているからなど、自分ではなく親や誰か他の人が称賛してくれると思って憧れを自分のものと勘違いしていることが多い。その場合、その子の人生は地に足のつかないものとなり、失敗しやすい。失敗して、気づけばまだ良い方だと思います。抑圧をしている親は、自分の子どもをこのような状況に陥らせる危険があることを、僕の経験からも声を大にして警告したいと思います。

五感を磨こう

僕たちには、五感が与えられています。読んだ話ですが、森林の中で発見された動物に育てられた子どもが、医師の指導のもと人間として順応していく過程で、何が最もその子を人間らしくさせたかと言えば、お風呂だそうです。風呂の熱い、冷たいという感覚に敏感になっていくことで、人間らしさを取り戻したと読んだ記憶があります。

五感は、わたしたち人間が、自分らしく生きる土台となるものだと言えそうです。感じるということを子どもから奪うことは、罪に等しいと思います。もちろん、奪いたくて奪う親はいないはずです。教育的と信じ込みながらも、自分で責任を負いたくないことや、自分も親からされてきたことなどは、無意識に「こうすべきだ」と「べき論」を振りかざして子どもの気持ちを支配しがちです。

始めるに遅いことはない

大人になって、自分が親に感情を奪われた子どもだったことに気づいた場合、何もできずに嘆くだけではありません。五感で最も日常的なこと、例えば、食事、お風呂、睡眠時の暑い、寒いなど心地いい寝具選びなどは、今すぐにでもできることです。

気持ちを取り戻す有料プログラムのご案内

わたし(ブログの著者、香山)は、療育家のよしみさんと一緒に、次のような有料プログラムを提供しています。

1. 本音を見つけよう。 〜本音ってなんだ?〜
2. 事実と感情を分ける。〜感情に隠された思い込み〜
3. 五感をフル活用する。
・食事を楽しむ
・肌触りを楽しむ
・花鳥風月を楽しむ
・香りを楽しむ
・自然音に耳を傾ける。
4. 日常的な好き!から始める。〜毎日履くパンツ、靴下、洋服、パジャマ、食事etc〜

対人関係の気持ちはとりあえずは置いておきます。まずは、自分が日常生活において大切にしたい五感の働きを中心に、奪われた感情を取り戻すプログラムを提供しています。

ご興味のある方は、ぜひお問い合わせください。このブログのプライバシーポリシーのページにある「お問い合わせ」からコンタクトをお待ちしております。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。いい香りとともに自分の気持ちと静かに向き合ってみてはいかがでしょう…

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この記事を書いた人

15歳の自分が出会いたかったブログ

30年前の自分に「もっと柔軟で愛に満ちた考えをもて!」と言いたい。勉強の本質も見えてなく、闇雲に漫然とやってしまったが、正しく学ぶことと、自由に発想し考えることを区別して、伸び伸びと学びたかった。何がわかっていたらそうできたかを振り返って、中高生に、そしてその親御さんにも向けて情報発信します。

そう思うに至ったおよそ30年の間、コピーライター、クリエイティブディレクターとして、広告主の商品やサービスにおけるメッセージを見出し、言語化したり、社長インタビューを文章化したりしてトップメッセージを書くことなどを生業としてきました。受賞歴として、宣伝会議賞(NTTドコモ)、朝日広告賞(NTTドコモ)、C-1グランプリ(東京コピーライターズクラブ主催)ほか。

その傍ら、国語の学習塾を主宰し、子どもと向き合う経験も通して、生きてくためには「気持ちの言語化」が大切だと気づく。言葉は、感情と思考の結果で、言葉の選択は未来の選択との思いから、広告や学習を超えて、「生きてく」という観点で言葉と向きあい、経験に基づいた情報を公開してまいります。

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