コミュニケーション能力の高い人って、どんな人?
コミュニケーション力の高い人って、どんな人でしょうか?
饒舌な人でしょうか? 臨機応変に機転の効いた対応ができる人でしょうか?
高校生であれば、入学試験や就職の際の面接で、コミュニケーション能力が大切だと言われると思います。
確かに、面接官などの質問に対して的確に受け答えができることは大切です。でも、あなたは「何」を言いますか? 模範解答を暗記して、その場を取り繕うこともできるでしょう。ですが、僕は「自分の正直な気持ちを、素直に表現できる人」こそ、コミュニケーション能力の高い人だと考えます。
こんにちは。現代文講師の香山です。
国語や現代文を教えながら、それが学校の勉強やテストのためだけではないことを、僕はとっても強調したいと思っています。国語は「論理」を学ぶ科目だと言っていますが、論理は「他者意識」。そこに、自分の気持ちを素直に言えることとの深い関係があります。
少しずつお話ししていきますよ。ついてきてくださいね。
この記事を読んでわかること
1.「コミュニケーション能力が高い人」とはどういう人かがわかります
2.そのために、何が大切で、何を意識すればいいかがわかります
3.それを鍛えるおすすめの本や問題集を紹介しています
僕の経験から言えること
僕は、現代文の講師として、論理的に読むという「方法」を会得するための塾を開いています。それは、僕自身が浪人をして初めて受けた出口汪先生の現代文の授業で、目から鱗だった経験からです。主観的で自分勝手な読み方に自信を持っていた「ものの見方」を180度変えてくれました。書かれたままを正しく読み取る論理的な読み/書きの作法を身につけて欲しい。そうすれば、受験で苦労せずに済むと考えて塾をやってきました。
しかし、受験でうまく立ち回ることにどれほどの意味があるのだろうか、と考えました。意味がないわけではない。しかし、それは自身の競争意識からきていることに気づいたのです。人よりも点数を上げたい。順位を上げたい。いい大学に入りたい。そういう競争意識に満足はありません。人は勝ち続けることはないからです。そこに安堵も幸せも見いだせないと感じた時、受験で点数を上げるための論理的読解という狭い見方で子どもに教えることの意味を失いました。
人に伝えたい気持ちやメッセージがある。これが言葉を考える始まりだと思います。泣く、笑うという感情表現も大切ですが、筋道を立てて自分の気持ちを伝える練習はもっと大切です。他者が意識できると、自分の世界が広がるからです。一方で、自分の気持ちが言語化できないと、人はそれを自分で無視し、やがて心が閉じていきます。私自身が気づいた悲劇でした。
ゆっくりでもいいので、コミュニケーション能力に対する正しい認識とその鍛え方について、最後まで読んでみてください!
他者意識ってなに?
先ほど書いた「論理とは他者意識」とはどういうことでしょうか?
ここでいう論理とは、筋道のこと。
私たちは、たった3つの筋道を使って、人に自分の思ったことや考えたことを伝えています。その3つとは
1、イコールの関係
2、対立関係
3、因果関係
このことは、こちらの記事にも詳しく書いているので、よかったら読んでください。
どうして、このような筋道を立てて話をするのでしょうか?
人は、そんなに簡単に自分のことをわかってくれないという前提意識があるからです。
赤ちゃんの頃は違いました。泣いたり笑ったりすれば、親が自分の気持ちや欲望を察して、満たしてくれる。これが子どものやることです。感情で伝える。
しかし、やがて泣いてもわめいても、親は自分の気持ちをわかってもらえないと察すると、私たちは、言葉を覚え、その規則したがって言葉を使い、筋道を立てて自分の思いや考えを人に伝えようとします。他者意識が芽生えはじめます。
告白は、論理だ!
告白をするというのは、その好例です。
突然「好きです」と言っても、これだけでは伝わりません。
おそらく、言われた方は「なぜ?」「どこが?」と思うでしょう。
だから、一生懸命イコールの関係を駆使して、好きだという具体的な事象などを挙げます。
複雑な人間模様の中で好きになった場合は、Aさんではなくあなたが好きだと、対立関係を意識して主張するかもしれません。エピソードや具体例を挙げ、「だから好きなんだ」と因果関係を使うこともあるでしょう。
そうやって頑張った告白が実ったとき、私たちはなんとなく大人になったと胸を張りたくなるのは、自分の気持ちを、言葉を使ってわかるように人に伝えることができた、つまり他者意識を持って論理的に話ができたことに対する自分の成長を認めているのだと思います。
もちろん、告白に限りません。日常生活の中で、他者意識を強く持ち、論理的に話したり書いたりできる人は、誰もが子どもではなくなっています。しかし、年を重ねても、ずっと子どものままの人もいます。
コミュニケーション能力が高いとは
筋道を立てて話をしなくても、わかってくれるだろう、察してくれるだろう。
これは、甘えの一種です。
日本語は、例えば平安時代などを見ると、宮中という狭い社会の中で生きていた人たちにとって、全てを言うことを美徳とはしなかった。「言わずもがな」の文化もあります。しかしネット社会となって世界が広がったいま、私たちは他者との関係を「言わずもがな」で築くことはとても困難ではないかと思います。(もちろん恋人同士など、限られた世界ではそれもあると思います)
つまり、コミュニケーション能力が高いとはどういうことかと言えば、
自分の素直な気持ちや考えを、第三者にわかりやすく伝えることができること
だと考えています。
何も、面接などで耳障りのいい定型の文言をすらすらと言えることが、コミュニケーション能力が高いことではありません。
自分の気持ち、ちゃんと言えてる?
小さい頃から、自分の感じたことを口にしていましたか?
Yesと答えられる人は、問題がないと思います。
しかし、つい人から期待されている答えを自分の気持ちより優先させて口にしてしまうことが癖になっている人、人の顔色を見ながら自分の気持ちを無視してしまう人、そういう人は、他者意識が育っていないはずです。人に伝える必要のないように、人間関係の中を泳いできたからです。
どちらも処世術だとは思いますが、僕は、自分自身の経験からも、自分の気持ちを無視しないで、大切にして欲しいと思います。
あなたが感じ、考えたことは、あなたの存在意義そのものです。
それを自分で無視することは、自己否定です。
自己否定していては、人前で自分の思いや考えを素直に口にできる人間には育ちません。悪循環ですね。心が死に、自分が死んでしまいます。
自尊心(自分を大切に思う気持ち)も育つ論理の力
他者意識は、自分の思いや考えはそう簡単には人に伝わらない、なぜなら自分と他人とは感覚も考え方も違うはずだから、という意識が前提にあります。しかし、自ら自分の気持ちを偽り、人の顔色を見ながら人に合わせに行く人に、他者意識も言葉も論理も必要ありません。そうなれば、言葉の力も、心も成長はしません。もちろん、自分を偽り続けるのですから、自尊心も育ちません。卑屈になり、人生を楽しいと思うことも減ると思います。
また、人の顔色を気にし出すと、人からの評価ばかりを気にして生きるようになります。優劣感情や競争意識が無駄に強くなってしまいます。
結論 起点は自分の気持ち
他者意識を持って、論理的に考え、論理的に伝えるというのは、結局のところ、自分と向き合うってこと。自分の気持ちに素直になること。これが、コミュニケーション能力の土台となります。
自分の素直な気持ちを口にすることが少ない人は、最初戸惑うかもしれません。怖いかもしれません。
そんな人は、レッスンとして絵本を読んでみたり、問題集をやってみたりするのがおすすめです。
それらを活用して、自分の気持ちと真っ直ぐに向き合ってみてください。
あなたの気持ちを認めてあげる人は、あなたしかいません。
それをないものとしてしまうと、あなたの存在意義は薄れてしまいます。
どんなことを思っても、考えてもいいのです。
なぜそう思うのか? それを内省したり、対話したりしながら深め、磨いていく。
その時、あなたのコミュニケーション能力も磨かれているのです。
自分の気持ちを言葉にするレッスンがおすすめです!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
言葉の力、論理の力を意識することで、自尊心を育つつ
自分の気持ちや思いをまっすぐに言える人になってほしいと思っています!